「昔っからそうだから」
平田裕一の顔です
平田裕一
 日本人は、実にお風呂好きな人種です。この傾向が、旅館のお風呂のあり方を確実に変えたのだろうと、旅行の雑誌を立ち読みしながら、しみじみと思うのです。この時代に旅館という職業を成り立たせるために、私の旅館のお風呂はどうあるべきなのか、現場でよく考えてみたことがありました。
 私の旅館は、藩政時代、会津藩の指定保養所として存在していたということもあり、昔ながらの木造旅館です。もちろんお風呂も、いにしえの香りのする「きつね湯」などがあります。「このお風呂も時代と共に、桧風呂や岩風呂に変えていかなければならないのか?」と思いながら、ふと見ると、そう簡単には見かけることの出来ない六角形の細かいタイルが張りつめてあり、排水口の部分には、大正浪漫調に白と黒のチェック模様で飾られているのです。「どうしてこんな珍しい材料が?いつから?誰がデザインした?」などと、数え切れないくらいの疑問が、頭の中に膨れ上がるのでした。高校生の頃、世界史、日本史どちらも苦手な私が、突然、歴史大好き人間に変わってしまう、自分でも不思議な瞬間です。
 「昔っからそうだから」といってしまえば簡単なことですが、じっと見つめ、さらっと手で触り、そっと浴槽の中に身を沈めて見ると、少しずつ理由が見えてきます。次の瞬間、私の体は、昔の職人さんの作意に気が付き「鳥肌状態」に陥るのです。たぶん、職人さんは、足もとが滑らない材料の六角形タイル、排水口の目立たないデザインにしたのでしょう。
 昔の職人さんは、どの部分にも入浴する人の立場にたって考えた「いい仕事」を、残してくれました。こんなにすばらしい精神が、随所に残されているのに、今の流行だからとか、全国の旅館が改装しているから、などという単純な理由で、改装を考えた自分の未熟さに、恥ずかしさを痛感しました。もちろん「昔っからそうだから」の中には、変えなければならない部分は沢山あります。しかし、変えてはいけないものと、変えなければならないものを間違えずに判断しなくては、「いい仕事」を後世に伝える事は出来ないでしょう。
 今、会津のあちこちの街で活性化運動が興っています。住む人の立場と訪れる人の立場にたって、これからの会津をどう発展させ、どう残すかが大きなポイントだと思います。もちろん時代と共に、空港や高速道路も整備され、会津の街もどんどん変わりつつあります。しかし、今の活性化計画で、二十年、三十年先、後悔はありませんか?いつの時代にも会津を訪れる人々に感動を与えられるような、そして江戸時代に栄えた「日本の会津藩」を彷彿させる、会津の街にしていきたいものです。
 もし、「古いものを壊そうか?」と迷ったとき、今まで存在していた理由を、良く考えてみてはいかがですか?そこには「昔っからそうだから」の理由だけで、この世から消してはいけない魂が、宿っているかもしれません。
福島民報新聞「民報サロン」1997年11月29日掲載
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1996年・旅行者心理学
1997年・まだ計算中です| 昔からそうだから| つまらないものですが
1998年・新・路地裏紀行| あこがれ| 今、ちょっと忙しくて
1998年・あったか電子メール
2000年・精神ダイエット
2008年・真冬の庭に花を咲かせる