「まだ計算中です」
平田裕一の顔です
平田裕一
 私が小学生の頃、算数は得意な科目でしたが、その中で泣かされるものが一つだけありました。それは「そろばん」でした。
 今から二十五、六年前、クラスの四分の一近くは、そろばん塾へ通っていた時代です。私は何故だか、「習い事嫌い少年」で(今も)、その頃から、自分で納得しないと何もしない、納得すればそのうち習得してしまう人間のようでした。席の順に答えの発表がまわってくると、自己防衛の本能が働き、頭を低くし小さくなっていたものです。答えはいつも決まって「まだ計算中です」。先生が読み上げる問題を、書き取ってから数式で計算するものですから、間に合うわけがありません。先生も半分あきらめ顔で優しくささやくのでした。「平田のところは、進んでいるから電子計算機だもんなぁ〜」。私も子どもながらに、リアクションに戸惑い「はぁ〜」と力のない笑顔を振りまくのでした。
 こんな小学生時代を過ごした私が、東京の大学へ行き、サラリーマンを経験し会津へ戻ってみると、現在のお子さま方は、驚くことに「電子計算機」を飛び越し、「パーソナルコンピューター(以下パソコン)」を学習している、と聞こえてきます。とうとう私も「浦島太郎状態」に陥ってしまったかと天を仰げば、これから二十五、六年後には、恐ろしいことにそのお子さま方が、今の私と同じ大人になる現実が見え隠れしてきました。
 「そろばんは背中を掻く道具で、暗算はパソコンが音声を読みとって、勝手に計算してくれるんだぁ〜。」なんて会話が、近い将来、小学校で展開されると思うとぞっとします。旅行の情報は、本屋で立ち読みすることはなくインターネットで探しまくり、行き先は、地図を持たずに車に標準装備となるだろうインターネットカーナビゲーションシステムに入力するでしょう。その優れたシステムは、渋滞に巻き込まれずに、どのルートを通って行けば良いのか、瞬時に選択し何も悩まずに解決してくれるでしょう。
 さあ、どうしましょう。情報の渦をかき分けながら生きている未来の大人たちに、私達旅館は、何を提供すべきでしょうか?まず、視覚的に伝えなければならない予備知識は、インターネットを使い、事前に御案内すべきでしょう。現場では「聴覚」「味覚」「嗅覚」「触感」に訴えかけるもの、例えば、温泉や木々の香りであったり、郷土の味覚であったり、川のせせらぎや虫の声、つまりここにしかない「文化」や「地球環境」の提供が最低限度必須だろうと考えます。そして、未来の大人たちは、今よりももっと精神的なふれ合いを望むでしょう。その現象は、時代の流れに逆行していくに違いありません。人と接することが少なくなればなるほど、人恋しくなり、すべての課題がなくなれば、もう少し難しい次なる課題を探したくなるのは、私だけではないはずです。
 こんな事で頭を膨らませながら、私もその時代に乗り遅れないよう今からお勉強しなくては、と思います。むかし「そろばん」をおろそかにした分も取り戻せるように。
福島民報新聞「民報サロン」1997年11月09日掲載
コラム目次へ
1996年・旅行者心理学
1997年・まだ計算中です| 昔からそうだから| つまらないものですが
1998年・新・路地裏紀行| あこがれ| 今、ちょっと忙しくて
1998年・あったか電子メール
2000年・精神ダイエット
2008年・真冬の庭に花を咲かせる