「あこがれ」
平田裕一の顔です
平田裕一
 暖冬と言われながら、全国各地にたくさんの雪が降ったようです。やっと降ってくれて喜んでいる方や、思わぬ雪の被害に遭われた方、降りすぎで困った方など、雪に対する思いは色々とあると思いますが、 普段、雪の降らない地域の人々の、雪への「あこがれ」は、強いようです。
 雪の綺麗な朝、私は、関東地方から遊びに来てくれた知人と出かける機会があり、車の中で、次のような言葉を聞きました。「昨日の雪の夜景は、人工的なものをすべて自然に戻してくれるようで、幻想的で、素晴らしかった。今日は、雪の上を音を立てながら歩くのが楽しみだ。」と。雪国に住民が想像している以上に、雪に対して、強い「あこがれ」をお持ちなのです。街角に積み重なった雪の壁を見ては驚きの声を出し、木々の枝に花が咲いたかのような雪景色を見ては感激の声を出し、軒下のツララを手にとって子供のようにほほえむのです。そして、ひざまで雪に埋もれながら、雪の上を歩くと聞こえる「ククッ」という音を楽しむのでした。
 冬の城下町を満喫しながら、あるお店に立ち寄りました。人の良さそうな係りの方が、ストーブの火を強めにしてくれるのです。それは、寒い戸外からはいってきたお客様の立場に立った、的確な対応でした。私達は「会津の人は優しいね」と目で会話し、ストーブで暖かいのか、人の心が暖かいのか、心地よい空気に包まれていました。
 次の瞬間、その方がほほえみながら「今日は、ひどい雪ですね〜」とポツリと一言。途端に今までの「あこがれ」はコッパミジンに、砕け散ったのです。お断りをしておきますが、その方は、悪気があって発言したわけではありません。ホンの少しだけ、優しさのボタンを掛け間違っただけなのです。しかし、この景色を楽しみに、雪の会津若松を訪れた者にとって、「ひどい雪」とは、まったく期待していない言葉であり、住民の生活価値観を、知らず知らずのうちに、旅人に押しつけてしまったのです。
 住民と旅人の間には、価値観の違いが必ず発生します。住民には気が付きにくい「あこがれ」が、 ここ会津若松にも、たくさん隠されています。我々の何気ない言葉が、旅人の「あこがれ」を打ち砕いていることはありませんか?これからの心の時代、旅行に携わる者として、もう一度、初心にかえって、言葉について考えてみなければいけません。言葉は、心を伝える重要な手段なのです。
 接客業に大切なものとして、「お客様の立場に立って」という言葉をよく聞きます。大変難しい、なかなか出来ないことのように聞こえますが、特殊な技術や苦しい訓練は、何も必要ではありません。ホンの少しの見方の違いを、理解する優しさがあれば、誰にでも出来る簡単なことなのです。さらに住民は、旅人の移動価値観を理解することによって「あこがれ」の会津若松を、たくさん見ることが出来るのです。自分の住む町に「あこがれ」をもって生活する、こんな生き方、素敵だと思いませんか?
 あっ、そういえば、世界的版画家、故斉藤清先生の代表作も、「会津の冬」シリーズでしたね。そうです。冬の城下町、会津若松の雪景色は、やっぱり素敵です。
福島民報新聞「民報サロン」1998年02月05日掲載
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1996年・旅行者心理学
1997年・まだ計算中です| 昔からそうだから| つまらないものですが
1998年・新・路地裏紀行| あこがれ| 今、ちょっと忙しくて
1998年・あったか電子メール
2000年・精神ダイエット
2008年・真冬の庭に花を咲かせる