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「東山温泉」発見の由来 | ||
(昭和10年頃の川の様子です)
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天平年間(729〜749)行基菩薩が会津地方を巡錫された際、東の山に異彩ある雲の棚引くのを見て奇異の念にうたれ、その雲を標として草を分け、岩を這いながら黒川(現在の湯川)の畔に出、流れに沿ってゆくと霧は次第に深くなった。 山は重なり、谷は深まり、やがて轟々たる音がして、瀧のあるところへ出た。行基菩薩は身も心も洗われて見とれていると、どこから飛んできたのか烏がしきりと鳴く。それに気づいて良く見ると、不思議なことにその烏は三本足で、羽の色もまた尋常ではない。それにこの烏、木から木へと飛び移りながら、あたかも行基菩薩を誘導するかのようであった。 | |
行基菩薩は烏に導かれるままに黒川を溯ってゆくと、左方の岩間から湯気が盛んに立ち上っているのを発見した。錫杖を立ててよくよく検分してみると明らかに温泉である。行基菩薩は喜ばれること限りなく、紫雲の棚引く元はこれだったのだなと独り言しながら岩角に腰を下ろして休んでいると、峰の方で烏の鳴く声またしきりである。思わず仰ぎ見るとこれは不思議、軍荼利・妙見・聖観音の三尊が現れ給うた。行基菩薩はいよいよこの地が霊場であることを感得すると、この地に改めて三社権現を勧請し、この峰を羽黒山と称し、別当に東光寺を開山した。これが今日の東山温泉の発祥である。伏見ヶ瀧の南岸高台に平坦地があるが、この地は行基菩薩が三足の烏を見た霊場で、不動尊が祀られていた。 |
「きつね湯」の由来 | ||
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山に住む動物たちが傷を癒しにやってたところから、東山温泉では動物の名前の付く湯口が存在していました。きつね湯の他には、猿湯、狢湯、漣の湯、菅の湯、こがの湯、総湯、穴湯、隅の湯、滝の湯、目洗湯と11の湯口が存在していました。 この写真は、殿方用きつね湯の湯口で、白いつぶつぶは、ナトリウムとカルシュウムを大量に含む成分が、長年にわたり結晶となったものです。 | |
「向瀧」の由来 | ||
(明治の頃の順階瀧の様子です)
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その昔、明治33年発行の「東山仙境」によれば、向瀧梅の間の前の瀧は、「順階瀧」・じゅんかいたきと呼ばれ、地元の人々はそれを「二階瀧」・・にかいたき・にかいたき・にかいたき・むかいたき・むかいたき・むかいたき・むかいたきと呼んでいたと伝わります。
後に平成7年発行の「東山の今昔」には、瀧の名前は「向瀧」と記入されていますが、いつかどこかでなまって伝わったような気がします。また、この順階瀧は向かい合うように流れていたことから「むかいたき」と伝わったようです。 | |
現在この瀧は東山発電所の取水口があり、姿を変えていますが、この発電所は、明治33年に会津方部での第1号の発電所で、当時多くの市民生活や産業界にも一大革新をもたらした発電所です。 |